クリント・イーストウッド監督の硫黄島二部作を観てきました。
天皇杯も赤黒の勇者(札幌ね)にあっさり負けてしまい、シーズンオフに突入ということで、恒例の長文映画評。
■ 戦争映画の舞台としての硫黄島の戦い
この二部作は第二次世界大戦の硫黄島の戦いを描いた作品である。日米両国の視点から描いた2つの作品というところが話題になっている。
硫黄島の戦いというのは、大変な激戦として戦史に記憶されている戦いだそうで、それは上陸を急ぎすぎたアメリカ軍の戦術的なミスと、栗林中将の日本軍らしからぬ?合理的な戦術とがかみ合って生じたものだそうだ。
激戦=損耗率の高い戦い、というのは、職業軍人や軍需産業関係者、さらには軍事マニアのみなさんにとっては大変興味をそそられるものなのだろうが、一兵士や、銃後の家族にとってみればたまらないものだと思う。また国家戦略的にも、できれば激戦は避け、楽勝につぐ楽勝(あるいはあっさりと敗戦?)で戦争を終わらせることのほうがスマートなのではないか?
しかし、戦争映画の舞台としては、激戦は魅力的である。
軍人の知恵と力を尽くした「戦い」というものを描けるからである。
さらに硫黄島の戦いの戦争映画の舞台としての魅力は、第二次世界大戦の戦闘としては珍しく、現地住民というファクターが小さいところである(島民が早くに疎開できたので)。
第二次世界大戦の日米の地上戦としてはほかにはサイパンの戦いや沖縄戦などがあるわけだが、どちらも民間人を巻き込んだ悲惨な戦いである。こういった舞台を選んだら、アメリカ映画の大きなテーマであるベトナム戦争と重なってしまい、ストレートに戦闘を描くことはできなかったのではないだろうか。
■ 今なお存続する軍隊と今はなき軍隊の物語
二つの作品は、大枠のところでは戦争の不条理さを訴え、戦没者を追悼する点で合わせ鏡のようになってはいる。しかし、細かくみていくとテーマとしている問題が「巧み」に?ずらされていることがみえてくる。
アメリカ側の視点で描いた「父親たちの星条旗」は、アメリカ合衆国という国家と兵士と国民の物語である。
対して、日本側から描いた「硫黄島からの手紙」は、大日本帝国の将校と下士官と兵士の物語である。
民主主義国家か全体主義国家かを、とりあえず不問として、力の強い順にかく要素を並べていくと、
国家 > 軍隊(将校>下士官>兵士)> 国民
という順番になる。
「父親たちの~」では、激戦を闘った軍隊(海兵隊)の兵士たちが、戦費調達のための国民へのプロパガンダに利用されてしまうことの不条理さがテーマとなっている。
ポイントは、国家、兵士、国民とも、現在のアメリカ合衆国のそれらに継続されているところだ。
戦勝国なんだから当然なんだけど。
一方、「~手紙」のほうは、「いかに負けるか」という極限状況のもとにある軍隊における将校・下士官・兵士たちの絆とあつれきが描かれている。
ポイントは、この軍隊は、現在ではもうなくなってしまっていて、過去のものとなっているところ。
敗戦国なんだからやむなしです。
ともあれ、日本列島上に存在した(する)二つの近代国家である大日本帝国と日本国、そしてそれぞれの国民がどのような関係にあるのか、という難解な問題を中抜きにして、今はなき大日本帝国の軍隊の中で物語が完結しているところが、なかなかに巧妙だと思う。
われわれ日本国民は、この二部作を、戦勝国vs敗戦国の物語としては、多分みない。
なぜなら二つの作品には、国家vs国家、国民vs国民という図式は存在しないからである。
二つの作品はただ彼岸の軍隊と此岸の軍隊でのみ、つながっている。
日本国にすむわれわれは、この二部作を、勝った軍隊(withいろいろ大変だったみたいね感)と負けた軍隊(with滅びの美学)の物語として受け取ってしまう。
■ 結局、西部劇なんじゃねぇのという邪推を展開してみよう
ひるがえってアメリカ合衆国民のみなさんはどのように、この二部作を受け取るのだろうか?
アメリカ合衆国民ならぬ我が身なれば、まったく想像もつかないので、以下はまったくの邪推ですが、多分、「父親たちの~」の問題意識は、現代のイラク問題なんかと関連づけて受け取られるんではないかと思われる。
国家権力と国民との対抗というきわめてUSA的なテーマだ。
これはまぁ万人受けできる推測だと思う。
では、「~手紙」の方はどうか?
ここからが邪推。
つらつら考えるに、結局、「~手紙」の帝国陸軍は、ハリウッド西部劇のネイティブアメリカンのみなさんの役割を負わされているんではないだろうか?
近年の作品だと「ラストオブモヒカン」(※西部が舞台ではないけどね))とか「ダンスウィズウルブス」に登場する、強敵で独自の美意識や倫理観を持っているんだけれど、結局ヨーロッパ文明人に負けてしまうひとたちの役割を、である。
映画史的に整理すれば、カリフォルニアまでやってきたカウボーイたちが勢いあまって、太平洋上までやってきて、硫黄島で戦争をしているという図式で考えると平仄が合うような気がする。
西部劇のヒーロークリント・イーストウッドの作品だし、「父親たちの~」の方ではアイラ役のピマ族出身兵士が一番苦悩しているのも暗示的だ。
邪推を重ねれば、アフリカ系アメリカ人のみなさんが主要キャストに登場しないのも西部劇的なんじゃないだろうか。
ここで表題に書いた「ラストオブ日本帝国」にようやくたどり着きます。
つまり、まつろわなかった先住民の歴史を称える映画なんではないかという見方も出来るのではないでしょうか。
このように邪推すると、現在の日本国がネイティブ日本人の居留地のように思えてなかなか新鮮ではあります。
■ おわりに
ともあれ、このように補助線をひきまくって、邪推を交えて観ていくと妙なところまで行き着くこともできる、なかなか味わい深い二作品です。
DVDで、ヨーロッパ戦線を描いた『バンドオブブラザーズ』や、長淵剛の歌声がいい意味でも悪い意味でも耳に残る2005年作品『男たちの大和』(!)などを観たりして予習していくとさらに味わいがますものと思われます。
しかし、中村シドウは、ステレオタイプな日本兵ばかり演じてるなぁ。
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