2007年4月20日 (金)

吉崎エイジーニョ『オレもサッカー「海外組」になるんだ!!!』を読んでプロとアマについてちょっと考えた。

サッカー観戦仲間のマイド氏の薦めもあって、連載のときにはとばしとばしで読んでいた吉崎エイジーニョ著『オレもサッカー「海外組」になるんだ!!!』を、ジュンク堂で購入した。

改めて通読してみると、連載時には読み飛ばしていた本作の特徴が見えてきたので、メモ的にエントリ。

本作は、いわゆるNumber誌的な意味合いでのスポーツライティングであり、このジャンルの作品としては佳作だと思う。

おそらく吉崎の生の文体は、本作の文体とはことなるのだと思う。

しかし、良くも悪くも、number誌的にチューンナップされた筆致で、ストーリーは進んでいき、それが作品の読みやすさや共感しやすさを生み出している。

たとえば、恋愛や家族などを語る、私小説的な視点の映画的な意味合いでのカット・インの仕方が、とてもモダン・スポーツ・ライティング(そんな言葉は多分ないけど)的である。

こういったテクニックを織り込めるのは、プロの書き手としてはとても重要な能力であり、であるからこそ本作は佳作と感じられるのだろう。

しかし、俯瞰的に見てみると、本作は作者の企図するところとはまったく離れたところで、興味深い日独の裂け目を示しているように読むことが出来る。

端的にいえば、それは日本のプロのスポーツ・ライターが、ドイツのアマチュア・フットボーラー達の社会を参与観察的に対象として読み物に仕立てているということ自体に生じているねじれである。

おそらく、ものすごくドイツ的にきっちりとしたかの国の草サッカーを、”海外”に見立てて、”海外組”を演じるというところの面白みを引き出すためには、「アマチュアリズムとはなんぞや」という問いはNGなのだと思う。

プロのライターとして、わざわざ面白くない視点を導入し、自らの作品の商品価値を下げることは好ましくない。

しかし、対象としてのドイツのアマチュア・フットボールは、「なんでアマチュアなのにそんなにしっかりしているのか」という問いなしに日本社会に暮らす一般のサッカーファンには理解できない類のものである。

制度や歴史への言及ではなく、ピッチ上のアマチュアフットボーラーの心性への視線、本作で多用されるセルフインタビューではなく、普通のインタビューがあまりにも少ないように感じた。

もっとも売り出し中のライターがアマチュア選手のインタビュー記事を売り込んだところで買い手がいないの間違いない。上の不満はないものねだりの類だ。

書き手の想いや情熱を抜きにすれば、そこにはプロ(の書き手)がアマチュアを対象として、恣意的に商品価値のある面白さを引き出すという、アマチュアスポーツをめぐる読み物の本質的ななんとも薄ら寒い問題が横たわっている。

それは、昨今の見るにたえないアマチュア・ベースボールをめぐる過熱報道と、同時進行している野球界の構造的な堕落と同質のものなのだろうと思う。

こういった、うがった読み方もできてしまうのが本作の興味深いところであるが、number誌の読み物を読みすぎて食傷気味になっている読み手でなければ感じない、いやらしい読み方ではある。

いろいろ考えさせられる、買って損のない作品であることは間違いない。

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吉崎エイジーニョ『オレもサッカー「海外組」になるんだ!!!』を読んでプロとアマについてちょっと考えた。

サッカー観戦仲間のマイド氏の薦めもあって、連載のときにはとばしとばしで読んでいた吉崎エイジーニョ著『オレもサッカー「海外組」になるんだ!!!』を、ジュンク堂で購入した。

改めて通読してみると、連載時には読み飛ばしていた本作の特徴が見えてきたので、メモ的にエントリ。

本作は、いわゆるNumber誌的な意味合いでのスポーツライティングであり、このジャンルの作品としては佳作だと思う。

おそらく吉崎の生の文体は、本作の文体とはことなるのだと思う。

しかし、良くも悪くも、number誌的にチューンナップされた筆致で、ストーリーは進んでいき、それが作品の読みやすさや共感しやすさを生み出している。

たとえば、恋愛や家族などを語る、私小説的な視点の映画的な意味合いでのカット・インの仕方が、とてもモダン・スポーツ・ライティング(そんな言葉は多分ないけど)的である。

こういったテクニックを織り込めるのは、プロの書き手としてはとても重要な能力であり、であるからこそ本作は佳作と感じられるのだろう。

しかし、俯瞰的に見てみると、本作は作者の企図するところとはまったく離れたところで、興味深い日独の裂け目を示しているように読むことが出来る。

端的にいえば、それは日本のプロのスポーツ・ライターが、ドイツのアマチュア・フットボーラー達の社会を参与観察的に対象として読み物に仕立てているということ自体に生じているねじれである。

おそらく、ものすごくドイツ的にきっちりとしたかの国の草サッカーを、”海外”に見立てて、”海外組”を演じるというところの面白みを引き出すためには、「アマチュアリズムとはなんぞや」という問いはNGなのだと思う。

プロのライターとして、わざわざ面白くない視点を導入し、自らの作品の商品価値を下げることは好ましくない。

しかし、対象としてのドイツのアマチュア・フットボールは、「なんでアマチュアなのにそんなにしっかりしているのか」という問いなしに日本社会に暮らす一般のサッカーファンには理解できない類のものである。

制度や歴史への言及ではなく、ピッチ上のアマチュアフットボーラーの心性への視線、本作で多用されるセルフインタビューではなく、普通のインタビューがあまりにも少ないように感じた。

もっとも売り出し中のライターがアマチュア選手のインタビュー記事を売り込んだところで買い手がいないの間違いない。上の不満はないものねだりの類だ。

書き手の想いや情熱を抜きにすれば、そこにはプロ(の書き手)がアマチュアを対象として、恣意的に商品価値のある面白さを引き出すという、アマチュアスポーツをめぐる読み物の本質的ななんとも薄ら寒い問題が横たわっている。

それは、昨今の見るにたえないアマチュア・ベースボールをめぐる過熱報道と、同時進行している野球界の構造的な堕落と同質のものなのだろうと思う。

こういった、うがった読み方もできてしまうのが本作の興味深いところであるが、number誌の読み物を読みすぎて食傷気味になっている読み手でなければ感じない、いやらしい読み方ではある。

いろいろ考えさせられる、買って損のない作品であることは間違いない。

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